苦労を味方につける
20代の頃に社会的地位の高い人と接することが多かった。
彼らを見ていて分かったのは、「わざわざ苦労を取りに行く」 行動パターンが多い。
例えば規制の壁を乗り越えたり、人のやったことのないことを始めたりとか、
先の全然見えないことも、ある意味、意識的に選択し、とても面倒なことを彼らは進んでやっていたような気がする。
ここで勘違いしないで欲しいのは、不毛な苦労はしないと言うこと。
報われる苦労かそうでないかを最初から見分けられるわけではないハズだが、
きっと苦労を積極的に受け入れる人なら、何が当たりで何が外れかは、肌感としてなんとなくわかってきて、徐々に実りある苦労を見つけることもできるだろうし、
苦労の乗り越え方やいなし方みたいなもの(戦闘力)も体験的に身についていくのだろう。
ようは、積極的に苦労をとりにいくからこそ、成功の種として苦労を味方につけることができると言うこと。
逆に苦労から逃げる人も多い。いやその方が全体としては多いだろう。
言われたことだけやって、前例にないことはやらず、面倒なことから逃げる。
精神力を使うような仕事は誰かがやってくれるのを待ち、自分はただの作業員。
時間内でどれだけ楽をするかが仕事や時間の過ごし方になって、言い訳だけがうまくなる無益無能な人々。
苦労を自らとりにいくか人かそうでないかで、仕事の質どころかその人の人間性すら測定することは可能だと思う。
いずれにしても、苦労の先にしか利益も栄誉もないのは間違いないことで、おそらく成功者たちは、良い苦労を味方につけるのがうまいのかも知れない。
これぞと言う苦労を見つけたら、即座にそれを受け入れ乗り越えていく感性があるのだろう。
では、この行動パターンをとれる人の根源は何か。
お金が欲しいとか、見栄を張りたいとかもあるだろうが、たぶん人の為になることが好きなのではないだろうか。
身近な人をみていると、人のために何かやれる人は日頃からモチベーションは高いと感じることが多い。
逆に、苦労を避ける人は自分のことだけで精一杯なのだろう(セコイ顔の人が多いよね)。
話はそれるが、2011年の大震災発生直後の被災地では、人の為にと言うモチベーションであふれていて、非常に心地よかった記憶がある(でもエネルギーレベルの差による対立構造も生まれたので大変だったが)。
でも、そういう自分はどうかと言うと、最近はよい苦労を見つけられていない気がする。
何か苦労の種を探さないとな。
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