セミリタイアおじさんは何故トラックドライバーを始めたのか
この1カ月、生き返ったような日々を過ごしている。
夜の9時には布団に入り、朝の4時に起きて、オートミールと玄米をブレンドした朝食を食べ(もちろんプロテインも混ぜている)、
犬たちのブラッシングを済ませてから、軽トラで10分ほど通勤をして会社に行く。
3トン車のエンジンをかけ、海を眺めながら1時間ほどのドライブ。
見る景色は毎日同じはずだが、その日によって見え方が違うことに気づく。
すれ違う車もいつも同じで、彼らはどんな仕事をしているのか想像をめぐらす。
逆に相手には僕の職業は一目瞭然だろう。何故ならトラックを運転しているのだから。
さて、6月から念願のトラックドライバーデビューを果たして1カ月以上たち、なんとか辞めずに続いたのでブログを更新することにする。
数年前Twitterでつぶやいたが、僕はいつかはトラックドライバーになりたくて、一度失効した大型免許を再取得した。
もちろんドライバーに不可欠なフォークリフトの資格も受講済みだ。
しかし、誰からもお声はかからず、3年の月日が流れてしまった。
やはり仕事もせずに犬の散歩だけして、家で筋トレして鏡を眺めているような40代のおじさんなど、気持ち悪くて誰も雇いたくないのだろうか・・・
もはや大型免許もただの飾りになるのだと諦めていた今日この頃、ついにドライバーのお誘いがあった。
移住してから10年来の友人から、朝だけでいいので、うちの仕事を手伝ってくれと。
朝だけなんて、なんてありがたい。
午前中だけドライバーをしたいと思っていたので、最高のオファーだった。
即座にOKし、ドライバーになるための必要手続きを済ませ、6月1日からこの知人が経営する会社に正社員として勤めることになった。
余談だが僕は正社員になるのは生まれて初めて。なんかドキドキする。
仕事は漁港からホタテなどを回収し、加工場へ配送する仕事。流れとしては非常にシンプルな仕事だが、
浜のクセ強めな漁師たちに困らされたり、フォークリフトの運転に慣れなくて荷物を壊したり、加工場のブラックさに驚いたりと、なかなか大変な毎日だった。
でも逆に、人に助けられることもあるし、どこかで誰かと接するたびに新しい人間関係が作られていくので、
亡霊のような生活を送っていたセミリタイアおじさんにとって、空を飛ぶような日々を過ごしている。
やはり人は、人と接することが重要なのだと気づかされている。
6年前に漁師を辞め、地域貢献も終わらせて、この数年は知的障害者の自立支援目的でプロテイン製造会社を経営していた(もちろん今も順調に経営できてますよ)。
会社は僕の労力は最小限で済むようにしているので、ある意味セミリタイア状態。1日1時間くらいのデスクワークで済む。
この日々は正直退屈なものだった。確かに会社の売上が上がっているので、プロテイン工場で働く知的障害者たちの工賃が上がっているのも事実で、それはそれで良いことだと思うのだが、
僕自身が体を動かすわけでもないので、何か物足りない日々を過ごしていた。
このままでは、偉そうに分かった風なことを呟くだけのTwitter廃人になってしまう・・・本当にそう感じていた。
周囲の人は働かなくても暮らしていける僕をうらやむが実際は違う。
働かないということは、言い換えれば人に必要とされていないわけだし、何か一つの目標に向かって共に汗をかく仲間もおらず、その虚しさと言ったら、もはや生きる意味の半分を失っていると言ってもいいのではないか。
世間の働かなくてもいい金持ちたちも、結局は何か行動を起こし、人と人との中に生きようと模索している。
人は人の中で会話し、表情を見て、感じて、汗をかいて、ときに怒られ、ときに助け合い、そして感謝する気持ちが生まれてこそ、生きることを実感できるのではないか。
このような人として当たり前の感覚が得られないのであれば、世間で言われるほどリタイア生活はよくない。
それに娘たちも、いつも家にパパがいるのはおかしい、学校ではお前んちのパパは犬の散歩してるだけじゃんと馬鹿にされていると言う・・・
なんとか現状を打破せねば、自分の人格も家族も守れない。
そう思って、チャンスに乗っかってドライバーに取り組むことにした。
労働者として世の中に溶け込み、人から見ればただのおじさんドライバーにすぎないが、僕は誰よりも新鮮で充実した毎日を過ごせている。
心は若者と同じだ。
額に汗して働くことはお金には代えられない価値がある。
毎日よく眠れるし、子供たちとも適度な距離感が生まれた。
妻も僕の働きを見て、感謝してくれている。働いてくれてありがとうと。
毎日が当たり前に充実している。ありがたい。
世の中のリタイア族にも、ぜひ労働することを薦めたい。
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