ある男の生き方


先日、数年ぶりに、ある友人にあった。
彼は僕が雄勝町に移住した2011年の暮れから半年ほど、一緒に仕事をし、同じ釜の飯を食った仲間だ。
あの頃はまだ震災の爪痕が深く残り、いわゆる被災地と言うイメージが強い時期だった。
彼は休職中と言うこともあり、また仙台出身でもあったので、被災地の応援をしたいと言うことで、僕たちが関わっている事業にフルタイム、住み込みで働いてくれた。

しかし正直なところ、被災地のためと言う人の中には、善意や自分の考えを押し付けるタイプの人が多いように感じていた僕は、ちょっと面倒な人が来たのかなと感じていた。
けれど、実際に彼と寝食を共にすると、とても柔軟で何かを押し付けるような感じはまったくなく、むしろストレスを感じさせないような人だった。また、精神的な話も通ずるものがあり、孤軍奮闘していた僕としては、暗中に仲間を得たような気がした。

さて、そんな彼としばらく生活していると、なんとなく影のある男だと気づき始めた。確かに50歳を超える男が、いくら時間があるからと言っても、薄給で1年も住み込みで働くなど、世間の常識からすれば不思議だ。
そのことを正直に聞くと、自分の経営する会社を畳み、経済的にもかなり厳しい状況で、自分の生き方を見直す時期だと言うことらしかった。
当時の彼は柔軟ではあったが、なんとなく迷いとか、頼りない雰囲気も感じていたので、そうものかと自分なりの納得をした。

ただ、僕も状況としては似たようなもので、都会での仕事や人間関係に嫌気がさし、田舎に逃げたことを、被災地の事業支援と言う小奇麗なイメージで隠していただけだから、同じような立場だったとも言える。

二人とも自信を失い、生き方に迷っていたのかも知れない。

あれから6年の歳月が経ち、そして今回、彼が身に着けた技術と精神力に助けられた。
僕が主催する海の幸トレランのコースに、僕の技術や道具では到底太刀打ちできない巨大な支障木があり、それを除去してくれたのだ。

彼は雄勝での1年を過ごした後、宮城の山奥に移り住み林業の修業を積んだ。
これまで肉体労働などしたことのない50歳をこえる男が、いきなり肉体労働、それも超危険な林業に取り組む。
なぜ、そんな仕事を選んだのか。
その真意は「まっすぐに向き合う」と言うことだと、彼の話から僕はそう理解している。
まつたく新しいことに取り組むなど、そう簡単にできることではない。この修業期間、彼はどれほどの困難を乗り越えてきたか。

僕も自分でコースを切り開いた身としては、木を切ると言うことがどれほど危険かを、身をもって知っているつもりだ。
木々の伐採であれ、漁業の水揚げであれ、そこに起こる危険性は物理的な現象ではあるが、その危険性は、自然と向き合う姿勢や精神の未熟さが引き起こすものだと思っている。
もちろん技術的なことも重要だが、命のやりとりがある場所では、絶対にやり遂げると言う精神がなければ、いつか足元を救われる。

海も山も、大自然は人間に味方してくれることなど絶対にないと僕は思っている。常に人間の命を奪ってやろうと狙っているのだ。
そんな中、僕たち人間はかろうじて生き残り、あわよくば少しの分け前を頂戴できるだけの狡猾さを身につけなければ、この自然相手の仕事では生きてはいけない。

久しぶりに会う彼からは、頼りなかった当時の面影は消え去り、一人前の男の風貌が身についていた。
静かな雄勝の山の中で、彼は冷静に、かつ周囲に気を使いながら、たった一本の木と「まっすぐに向き合って」いたのだ。
彼はチェーンソーの歯を入れ、いくども調整しながら、40分ほどで巨木は大きな音を立て崩れ落ちた。
その姿は、彼が必死に生きた時間を受け取ってくれたような最後だった。

彼は今、栗駒の麓で木こりをして暮らしている。薪の販売や小規模伐採を生業とし、自分の力ひとつで生き抜いている(ご依頼はお気軽にとのこと)。

ありがとう淳さん。
善いものを見させてもらいました。

落ち着いたら、あの頃みたいに、囲炉裏を囲みながら酒でも飲みましょう。


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