先が長いほど、この一歩を大切にしよう

僕が漁師になろうと思ったのは、とあるおじいさんの存在が大きい。

その方は昭和11年生まれ。激動の時代を、己の腕一本で生き抜いてきた人です。

おそらく、このブログではおじいさんのことを、時々書くと思うので、少しずつ紹介できればと思いますが、

一言でいうなら、頭のいい人 これにつきる。

学校の勉強ではなく、実際の仕事の場面での知性の高さ、記憶力、計算力、そして豊かな想像力。

ゼロをイチにかえることのできる、リスクを恐れない、究極の男でした。

でした?と言うことは、そうです。今年、お亡くなりになりました。

僕がここに移住して漁師になり、何度もケンカしたけれど、それでも見放さず、色々と教えてくれました。

さて、毎朝のようにおじいさんのことを思い出しますが、今日はこんなことを思い出しました。

養殖銀鮭の餌やりをしているとき、エサ(ドックフードみたいな感じ)をイケスに投げ入れていたのですが、

その際、何粒かをこぼして無駄にしてしまいました。それも一度ならず、何度も。

一回の餌やりで時には一トン近い量をやるので、たった数粒くらい関係ないでしょ、と言う風に僕は考えていました。

しかし、おじいさんは、こう言いました。

銀鮭養殖は、8か月以上、雨の日も風の日も、可能な限り、毎日毎日エサやりをして、長い時間と労力をかけてしか結果が出せない。

その結果は、おまえさんが無駄にした、その一粒が積み重なったもの。

その一粒を軽んじる者とそうでない者とでは、当然結果に差が出るものだよ。

僕はハッとしました。鍛錬家として恥ずかしく思いました。

それ以来、一粒の大切さを忘れたことはありません。

鍛錬も同じです。

己を鍛え、長い時間をかけて強く変わっていく。

長い時間がかかるからこそ、毎日の鍛錬、生き方、言動、様々なものの積み重ねに油断があってはなりません。

その一歩が積み重なって、山の頂に到達できるのですから。

今日もありがとうございます、おじいさん。

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