報われなくても
この歳になって体得してきたことがある。
報われなくてもいい。
これにつきる。
報われようと思うから、焦りや迷いが生まれ、理想から遠ざかる。
報われなくてもいいと達観すれば、焦りも迷いもなく、まっすぐに思う方へ進める。
こんな気持ちになったのは、これまで複数の仕事やプロジェクトに関わってきて、
何故か自分は最終的にはのけ者にされることが多く、おそらくそれが僕の運命なのだろと理解したから。
もちろんそれは、僕の考え方にも問題があるのだとは理解している。
とくに組織に属するうえでもっとも必要な妥協することや、ちょっとの悪すら受け入れられず、
また、理想重視でお高く見えて、近寄りがたい雰囲気を出しているのも影響しているだろう(実際はフレンドリーですよ)。
実は20代後半で、この自分の性格や運命にはうすうす気が付いていたのだけど、卑屈な気持ちになるからあまり考えないできたし、必死に抵抗してきた。
仕事ができるように見栄を張って、いつも緊張して過ごしていた。
でも後ろを振り返れば、僕はその繰り返し。
40歳になり、ほとほと疲れ、もうその運命を素直に受け入れることにした。
報われようなどとは考えない。
すると、不思議と気が楽になったではないか。
怒ることも悲しむことも不安になることも減ったし、自分の中の限られたエネルギーを、日々を楽しく過ごす方に向けることができるようになってきた。
またひとつ余計なものを手放すことができるようになったかも。
これも愛犬や愛娘のおかげかも知れないな。
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