この国には鍛錬が足りない

僕は高学歴の兄弟や親戚を持つなかの、いわゆる落ちこぼれ的な立場として、高校生まで過ごした。

その後、自衛隊に入り、人生が変わった。

それは鍛えることで、強くなり、人生が開けると言うこと。

自衛隊を退職後は、当時は誰も成功すると思ってもいなかった、日本におけるパーソナルトレーナー業界の開拓者の一人として、自分なりには満足のいく結果を手に入れた。

そして今は東日本大震災の最大被災地の一つである某漁師町にて、海と山を修業の場とし、鍛錬家そして漁師として生きている。

この生き方は、鍛えるように生きてきた証だと思う。

しかし、自分でも不思議な人生だと思う。

よく言われるのは、大変な生き方だね、と。

何年かに一度、積み上げたキャリアを捨てて、まったく新しい世界に飛び込んでいるのだから、

金銭的、体力的、頭脳的、人間関係などなど、様々な苦労がのしかかってくるが、

僕はこれを苦労と思ったことはない。

僕が目指していることは、自分を鍛えてくれるかどうか、である。

だから常に新しいことに挑戦し、鍛えるように生きているのである。

「鍛えるように生きる」

これを肝に命じていつも生活している。

さて、この国は、同じ日常を繰り返し、一定の枠組みからはみ出ず、人間関係のストレスにさえ我慢ができれば、

特段に努力をしなくても生きていけるような社会体制が敷かれており(まあ、これも現在、微妙なところですが)、

多くの人は、生涯の安住をその体制に求め、結果として、我慢と鍛錬をはき違え、オリジナリティを隠すことに長けているだけになっていると僕は思う。

僕は社会活動家でもなんでもないが、

ひとつ言いたいことは、君は鍛えるように生きているか?である。

昨日よりも今日、今日よりも明日と、過去の自分を超えるように生きているか。

短い人生、いつ終わるか分からない命なのだから、将来の不安など実は不要である。

いま、この瞬間に鍛える。そんな生き方をブログで綴っていきます。

コメント

人気の投稿